NAILIST
村中 みさ
昭和62年6月8日生まれのA型
10歳♂8歳♀6歳♂がいる ママネイリスト
ネイリスト検定1級/ジェル上級/衛生管理士
☆今までの生い立ちをご紹介☆
頑固おやじの父と料理大好き母に2つ上のお姉ちゃんの次女として誕生。
ウサギ事件!
私がウサギ年生まれだからと、母は通園グッズを全てうさきで揃えてくれました。同級生はみんなウサギ年ということを知らない私は、みんな に「私うさぎなんで~ええやろ~」といいまわっていたそう…(笑)この時から天然のにおいが…(笑)
当時おてんば・やんちゃガールだった私は、授業中隣の男の子と遊んでいて、のび太君のように廊下に立たされてしまったり、カエルやザリガニが好きで近くの用水路で夢中で捕って門限すぎて、鍵を閉められ泣いていたことも(笑)
そんな私でしたが女の子らしい一面もありました。
ピアノが得意で、コンクールで伴奏をすることも多くありました。←今ではまったく弾けませんが(笑)。
母が料理や裁縫を しているのをみていたから、私自身も家庭科が得意でした。
今でも、簡単な手提げ袋などは、子供たちに手作りしています^^
大好きなお姉ちゃんを追って、バスケ部に入学。
バスケは格闘技だ!と、顧問の先生に言われ厳しい練習にも耐えました。
体育館が使えない時は、学校の周りを外周。腹筋もつき体力もつきました。
バスケは全くと言っていい程上達しませんでしたが、高1のときのマラソン大会では校内1位をいただきました 。
高校までピアノをしていたので保育士になろうと思っていましたが、音痴と気づき諦めました(笑)
それ以外なりたいものが見つからないまま進学の時期。見かねた母が美容学校の教員の友人に声かけてくれて、とりあえず美容学校へ進学しました。
美容師の学校だったので、ワインディング(パーマみたいな物もの)やシャンプーが1年生のあいだは主でした。
たまに特別授業で、エステ・ネイル・謎のダンスの授業があったり。
小さいころから細かい作業が好きだったので、初めて本格的にネイルを学びだして楽しい!と感じたと同時に、ネイリストになりたいと思いました。
普段の授業は楽しくないし、うまく出来ず居残り。指を切るなんてしょっちゅうありました(涙)
それが嫌で嫌で、意を決し思い立ったら即行動の私。
「自分でお金を貯めて次は行くから、美容学校を辞めてネイルの学校にいかせてください。」と、ネイリストを知らなかった頑固おやじの父 の猛反対を押し切り、2年生には上がらず中退の道を選択。
ネイルの学校へ行くためのお金を貯めようと事務を1年間程したとき、美容学校のときからお付き合いしていた5歳年上の彼(現主人)と結婚となり、気づけば、3人のママになってました^^
毎日子育てに家事に追われる中で、ネイリストになりたかった夢さえいつしか忘れてました。
いつも助けてくれた姉に何か恩返しがしたくて、たまたま見たボディージュエリー(新婦さんや妊婦さんのおなかにキラキラした絵を描く)の資格を見て「これだ!」と思い取得。
晴れの舞台で身体に大きな絵を描かせてもらって、喜んでくれた姉をみて
(自分がしたものを見て、ひとがこんなにも喜んでくれるんだ。)
それを見ている自分も楽しい!幸せ!と再び感じることができました。
先生が、「この資格を取りにくる大半は、ネイリストの方」と聞き
美容学生時代に思い描いていた夢を思い出し
(ネイリストになろう!もう一度夢を追いかけよう!)となりました。
すぐさまネイルスクール探し。主人には事後報告で、ネイルスクールへ入学。
2年間で、ネイリスト検定1級・ジェル検定上級まで取得♪♪
けど…
いざ自宅サロンをと思ってもサロンワークの知識が無い!!!!!
サロンワークを学ぶために、一度サロンに就職。ですが、自分と思っていたものとは、程ほど遠く。
技術を教えてもらいたいのに、教えてくれる人もいない。
衛生管理も全くなく、道具(爪を削るためのヤスリ・甘皮を切るためのハサミ等)も汚く使い回し。
ジェル(ライトで固める液体)やパーツ(シールなどの飾り)も○天で買える安価なもの。
オフネイルを除けるときは、毎回薬液を使い削るので、お客様の爪はボロボロ。
ネイルをして、綺麗に幸せになってもらいたいのに
(ここにいたら私の思い描いていたネイリストになれない)と思ったので1年ではありましたが退社し